A HAPPY NEW YEAR
November 23, 2006
山が鳴る
11年ぶりに比叡山を訪れた。
比叡山延暦寺は、わたしにとって最も縁の深いお寺である。
わたしが「戦争のない平和な世界」を考えるきっかけになったのは、チベット法王、ダライラマ14世との出会いがきっかけだったが、「戦争のない平和な世界」とは、自らつむいでいかなければならないものなのだとはじめて自覚したのは、その翌年、ここ延暦寺においてであった。
1200年、連綿と連なる命のつながりを深く心に感じながら、人が、長い歴史の中で求め続けてきたことに思いを馳せる。それは考える必要もないくらい単純な答えで、人はただ、平安な心で暮らす、平和な世界を求め続けてきたのだ。なぜ、その目的地はいつの世も変わらないのに、人はいつまでたってもその彼岸にたどりつけないのか。わたしたちは、何にまどわされ、目的を見失わされ、そしてまちがって争いを続けてしまうのか。
1200年、祈り続けられたことを同じように、今わたしも連なって祈りを捧げる。 世界が真の平和に満たされますように。
11年を経て、わたしは自分の中にまだ「不滅の法灯」が消えずに灯っているらしいことを、その熱と、光とを、共鳴の感触をもって確かめたような気がした。
誰か聴いたことはないだろうか。祈りが山にこだまし、山が鳴る、その音を。天が聞き届ける、その瞬間の音を。わたしはこの比叡山で聴いたことがある。
August 14, 2006
盆日
そうだ。夏休みというのは、こんな空をしていた。
お盆である――。
千葉の祖父を墓まで迎えに行き、そして祖母の待つ家に連れて帰った。
仏壇に花を生け、母がお膳を作って供え、
早々にひまになったわたしは、いつものように祖父の書棚を物色する。
祖父はなんでも集めるのが好きだった人で、本も、図鑑や写真集の類いの愛蔵版といった顔つきのものが、ずらりと並べられている。
気に入ったものに囲まれて暮らしたいという気持ちは、わたしにもわかる気がする。
生前は まるで似ていないと思っていたが、だんだん血は争えないなあと、苦笑することが増えてきた。
今日、祖父の魂は家に帰ってきて、ひさしぶりに自分の宝物と再会しているのだろうか。
大徳寺門前
報恩の心を、言葉であらわすのはとてもむずかしい。
そういうときは、たぶん、行動をしてみるのがいい。たとえば、手を合わせる、線香をあげる・・・・・そのことに、ただ心をこめる。
形とは、意思が洗練されたものにちがいないし、
心をこめたら、きっとそれは通じるにちがいないから。
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