November 23, 2006

山が鳴る


 11年ぶりに比叡山を訪れた。
比叡山延暦寺は、わたしにとって最も縁の深いお寺である。
 わたしが「戦争のない平和な世界」を考えるきっかけになったのは、チベット法王、ダライラマ14世との出会いがきっかけだったが、「戦争のない平和な世界」とは、自らつむいでいかなければならないものなのだとはじめて自覚したのは、その翌年、ここ延暦寺においてであった。


 1200年、連綿と連なる命のつながりを深く心に感じながら、人が、長い歴史の中で求め続けてきたことに思いを馳せる。それは考える必要もないくらい単純な答えで、人はただ、平安な心で暮らす、平和な世界を求め続けてきたのだ。なぜ、その目的地はいつの世も変わらないのに、人はいつまでたってもその彼岸にたどりつけないのか。わたしたちは、何にまどわされ、目的を見失わされ、そしてまちがって争いを続けてしまうのか。
 1200年、祈り続けられたことを同じように、今わたしも連なって祈りを捧げる。 世界が真の平和に満たされますように。
 11年を経て、わたしは自分の中にまだ「不滅の法灯」が消えずに灯っているらしいことを、その熱と、光とを、共鳴の感触をもって確かめたような気がした。

 誰か聴いたことはないだろうか。祈りが山にこだまし、山が鳴る、その音を。天が聞き届ける、その瞬間の音を。わたしはこの比叡山で聴いたことがある。