March 27, 2007

手をつないで


 とても不思議なことだけれど、ふと気がつくと、誰かに手をにぎられているように片手が温かい。両手だったら、からだが火照っているのかと思うけれど、片手だけなのだから、そして決まって同じ左手なのだから、そういうわけでもない。

 一年と、もう少し前のある夜、家に帰る道を歩いている時、はじめてその感触に気がついた。まだ木枯らしも寒い冬の日。きんきんと凍ったように冷たい夜空に、澄んで、足の長い光を放って星々がきらめく冬の夜。なぜか、左手だけが、すっぽりと、大きな手に包まれたように温かいのだった。

 とても不思議なことだけれど、それから何度も、何度も、気がつけば、わたしはこの見えない手ににぎられていた。それは日の光に照らされているような温かさで、あるいは、いのちのある体温のような温もりで、心がストンと落ち着くように、安らげた。いったいどこから伸びている手なのかわからないけれど、わたしはひとりじゃないのだと、強く愛されていると、根も葉もない確信をいだくことができた。姿も無い、言葉も無い、そんな愛情が、この世には存在するのだと思った。

 今も、春になって、菜の花の群れを眺めるこの時にも、ふと気づけばわたしはこの大きなぬくもりに手をとられ、つながって、立っている。
そうだ。わたしももう片方の右手で、誰かの手をにぎろう。誰かと、手をつなごう。自分の右手が空いていることに気がつくまで、一年も時間を使ってしまったけれど、誰かに自分の右手を差し出せるほどに、それだけの力が湧くほどに、愛の力は偉大なのだということを、今のわたしはよく知っている。
 長い間、何度も何度も、代わる代わる、人々が繰り返し歌ってきた歌の詞のように、馴れすぎた決まり文句のフレーズのように、奇跡を起すのは愛の力なのだと、ようやくわたしは理解していた。

 手をつないで歩こう。
これも、多くの人が好んで歌うことば。それはきっと大切なことだから、忘れないように、何度も、繰り返し歌われる言の葉なのだろう。手をつないで歩こう。わたしの左手が受けるぬくもりが、他の誰かに伝わるように。家族とも、友達とも、みんなで、あたたかくつながって歩こう。