September 12, 2010

あかり

 あかり・・・・これは友人が、お酒のおいしいお店で、アルバイトをしていた時の名前である。おそらく彼女は、人の心を明るくすることができる自分の能力を自覚していたと思うし、彼女自身つねにそうありたいと願っていたとも思う。実際どうして「あかり」を名乗ることにしたのか、本当の理由は忘れてしまったけれど、彼女にこれほどぴったりの名前はないだろうと、約20年後、彼女が天に帰ったとき、わたしはずっと忘れていたこの名前を思い出した。

 昨年の9月、こどものような心でなければ天国の門をくぐれない・・・まさにその言葉の通り、こどものような心を資格にして、彼女は天国の門をくぐって行った。
 みんなで彼女の思い出話を始めれば、彼女がしでかした突拍子もないこと、呆れてしまうようなことばかりが、口々から連なって出てきて、本当にばかなことばっかり、とわたしたちは笑いだし、彼女の死を悼む時でさえも、その残照のような「あかり」で気持ちを明るくしてもらっていることに気づく。
「あんな子は、もういない・・・・」
と、彼女の親友がつぶやいた。
「本当に愛していたから・・・」
と、もう一人の親友がつぶやく。わたしたちはそれぞれに、どんな憂さも晴らしてくれる、愛しい笑いの神さまをなくして寂しがった。

 わたしは、自分がどちらかと言えば厳しい制限が多い中で育ち、数限りなく反撥しながらも、その中に収まるしかなかったせいか、正反対のように、伸びやかに、自分の欲求に素直に生きる彼女の姿が新鮮であり、また快かった。それに、欲求に素直というのもいろいろだが、日常の忍耐を強いられるような場面では、きっと先に音をあげてくれる人物が隣にいてくれるのは、じつに気持ちが楽なことで、いつも限界を試されたり、急きたてられるような緊張が多い日々の中、彼女と一緒にいると、常に許されているような気持ちになり、自然と力が抜け、心が和むのを覚えた。
 代わりに、一緒に行動をしようと思ったら、待ち合わせひとつ、まともにできるかわからない。その時間になっても、家で寝ていることも十分ありえたし、もしましなことに、「遅刻だわ!」と言いながら焦ってくれている場合には、汗をかき、目を剥いて走って、内股の自分の足に引っかかって転倒してしまうような、そしてそこでなぜか優しい男性に出会って、結局待ち合わせに現われることができなくなってしまうような、そんな人だった。
 思えば、今回もそうだ。彼女はわたしたちみんなと、ガンが良くなったら会おうね、もうちょっと待って、最速で治すから・・・・・と約束して、良くなろう、良くなろう、とがむしゃらに走りながら、とうとうそのまま、わたしたちの前に現われることはなかった。途中で、一体どんなステキな人に出会ってしまったのだろう。

 そうして彼女が天国へ旅立った2ヶ月ほど前のことだ。それはわたしが肉体ある彼女と会う最後となってしまった日であったが、その時彼女が吐いた言葉で、今も鮮烈に忘れられないものがある。
 お酒を飲むのも、おいしいものを食べるのも好きな人で、栄養だとか、時間や量などはおかまいなしに、好きなものを、好きなように食べていた彼女だったが、闘病に入ってからは完全な玄米菜食に切り替えていた。ガンが発覚した時、5年後の生存率は10%だと医師に言い放たれ、すべてに見放されたように感じた彼女は、その後自力で立ち上がろうと、さまざまな本を読み漁り、人々の話を聞いて回り、その中から真実を見つけ出したように、自らの生活全般を、大自然の営みと調和するものへあらためたのである。
 早寝早起き、運動、そして手間隙をかけた野菜中心の食事という、以前の彼女では考えられないようながんばりだった。誘惑になりそうなものはすべて排除するように、すこし排他的に傾きながらも、無我夢中で取り組んだ。死の恐怖がそれだけ大きかったのだろうと言う人もいるだろうが、わたしは、彼女がそんな革命を自分に起せるだけの真実を見出したのだろうと、そしてその真の実りを、彼女自身が日々少しずつでも経験し、確信できたから、続けることができたのだろうと思っている。
 食事を変えたら、新しく生えてくる爪はまるっきり色が異なって、同じひとつの爪に、正しい食事とそうでない食事の差がはっきり現われたと感動していた。食べ物ひとつひとつに感謝をしながら食べることを覚え、毎日生きている自分の体に感謝することを覚え、支えられている周囲の人々に感謝することを覚えた。彼女の明るさは、病状の進行を気づけないほど、逆に増して行った。

 そんな彼女が、亡くなる2か月ほど前、こぼすように、こう言ったのである。
「食事も完璧にあらためた。生活もあらためた。手当ても毎日している・・・・あとはね、心だけなの。でもさ、わかんないんだよね。いったい心のどこを直せばいいのか、わからないんだよね・・・・」
なんて人だろうと思った。なんて素直で、きれいな人なのだろう。自然療法を学んで、病には心という根があり、それを直す根治こそ本当の治療であることを、彼女は悟ったのである。わたしは、彼女の強いあかりに眩しさを感じながら、自分のほうが闇にいるのを知る思いがした。

 命のぎりぎりの場所で、友人は、最後に自分の心と真剣に向き合った。そして高熱にうなされ、壮絶な痛みを味わう中でもなお、彼女は生きることを求め、信じ続け、感謝と喜びを表した。その生命の強さは、わたしの命までも鼓舞してやまなかった。
 しかしまもなく、家族の誰も、そして本人さえも予期せぬうちに、ある日突然彼女の時は尽きた。朝、出勤前に病院へ寄った夫に、
「体をあたためたいから、湯たんぽ持ってきて!」
と言ったのが、夫婦の最後の会話になったそうである。
 その彼女の命日は、奇しくもわたしの誕生日の前日となった。おかげで毎年かならず、彼女の死を思い出してから、わたしは新しい年齢を刻むことになった。それはまるで、生きていることがどんなにありがたいことか、そんな命をけっして無駄にしてはいけないのだと、自覚の足りないわたしの贅沢に、喝を入れたかったのかもしれないと思わされた。
 あなたのように、はちゃめちゃな人に言われたくないわ、と笑いつつ、これから生涯、けっして消えることのない喝だと思っている。

 そういえば、出席番号も、彼女はわたしのひとつ前だった。大学の入学式の日、学科ごとに出席番号順に並ばされて、そのおかげでわたしたちは友達になった。大学に入ったら、好きな文学だけを勉強できる。本気で勉強しよう・・・と、初志をかためているわたしに、とつぜん彼女は振り向いて、声をかけた。
「ねえねえ、彼氏はどこの大学につくるか決めた?」
びっくりして、どう答えたらいいのか戸惑いながら、わたしは正直でもない、かといって今の瞬間では率直な答えとして、
「うーん、別に男の人に興味ないから・・・・」
と返事をした。すると、
「えー?じゃあ、女の人に興味があるの?」
と彼女もびっくりしたように、真顔で尋ねた。
「ない、ない。女の人に興味なんかないよ」
誤解されてはたまらないと、大きく手を振り、否定すると、さらに彼女は聞いてきた。
「じゃあ、猫とか?」
「・・・・・・・・・」

 あなたがいなくなって、わたしたちはどうやって笑おう。でも、わたしたちは笑う。どんな時も、かならず笑おうと思う。
 そして、たぶんこうして笑えるのは、彼女の命は今も生きていて、その陽気なあかりで、わたしたちを照らし続けてくれているからなのだと思う。