May 7, 2011

ほつま




ほつまつたえ(秀真伝)について、はじめて聞いたのは1996年だった。
わたしたちはパラダイムシフトの真っ只中にいて、
インターネットが、生活空間や人々とのつながりなど、
個人の世界を形作っていた壁に大きな窓を開け、
外へ外へと、多様な世界を広げて行くのと同時に、
それまでの狭い既成概念は取りはらわれ、
手さぐりではあるけれども、世界の真価とはその内面にこそあると、
そう直感する時代でもあった。
本物を探すため、物質を追いかけるのをやめ、精神の世界を求め始めた。
このままでは時代は行き詰まる・・・そんな風に、本能的に感じとる中で、

「しわかみの こころほつまとなるときは はなさくみよの はるやきぬらん」
(心が本当のまこととなる時花々の咲きこぼれる世界の春が来るだろう)

と、心のまことを求め、
五七調の歌で連綿と、神代から人の時代までを書き綴る「ほつまつたえ」は、
道理に満ちた、やさしい言葉で、どこまでも響くような澄んだ音色をもって
真実を明かしているように聞こえた。
これがいつ、誰によって書かれたかを問う議論には関係なく、「ほつま」という言葉は、
わたしたちのidealを言い表している言葉にちがいないと、
ただ美しいものに心をつかまれた時のように、共感したのである。

その「ほつま」の名がつけられたバラの株をわけていただいた。
清冽で、上品な、美しいかおりは、やはり理屈なく心をつかんで、
いつまでもそばで嗅いでいたい気持ちになる。
古いカメラのせいか、写真を撮ろうとして、何度も失敗した。
花が白く光ってしまって映らない。
露出をさげてどうにかおさまった写真は、
どこか幻想的で、それもいかにも「ほつま」らしいと思った。

そして1996年、わたしに「ほつま」という言葉を教えてくれたこの歌を聴きながら、
あらためて思った。
ここまでずっと、理想を信じて歩いてくることができた。
今さら、ぜったいに負けたくないと。
誰と争うわけでもなく、誰に勝とうというわけでもない。
時に理想が不可能なもののように遠のいて、
くじけそうになる、自分の心にである。

わたしたちは、ひとつ

♪ Love Notes  "All as One"