January 1, 2012

一日の計は朝にあり  
一年の計は元旦にあり  
十年の計は樹を植えるにあり  
百年の計は子を教えるにあり  

 わが家で、元旦のお祝いをともにした九十の祖母が、帰り際、
「わたしの信条はね、なせば成る、なさねば成らぬなにごとも・・・・なのよ」
とすこし唐突に話だした。上杉鷹山の名言である。
 祖母は、いつも自分の父親の顔を思い浮かべながら、この言葉を胸に反復してきたのだと言う。すべては挑戦してみないとはじまらない、やってみなければ何も成せない、そしてなそうと思えば、なんだってできないことはない・・・・・そう、今度はわたしたちに、反復して言い聞かせる。
 けっこう「やめとくわ」のせりふが多い祖母が言うから、ちょっと笑いたくなったが、その真剣な口調は、生きる力を子や孫の心にしっかり植えこもうとするようで、胸が熱くなった。遺伝的性質なのか、やはりどこかへんに気が弱くて、引っ込み思案をするところがあるわたしたちに、ぜひ伝えておきたかった教訓だったのかもしれない。わたしたちのように、明日が当然くる心境で生きてはいないから、祖母の言葉には、ときどき驚くような命の力がこもって、はっとさせられた。

 この祖母の父、つまり曾祖父は、わたしが生まれたころにはもう亡くなっていて、会ったことのない人だったが、とても厳しく、教育熱心な人だったらしい。和歌山の田舎で生まれ育った一女子の祖母を、遠縁の親戚の家に下宿させて、東京の大学へ行かせたくらいだったから、曾祖父自身この信条のもとに、可能性を開いて前進する人だったのかもしれない。
 曾祖父の百年の計は、今わたしたちにつながって、結果は計のとおりか、誤算か、それは計り知れないけれども、時代も世界も社会も、人がつくり、人は教育がつくる。昔の人々は、今のわたしたちよりも、そのことをよく理解していたような気もする。

 為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成さぬは人の 為さぬなりけり

 祖母が自分に言い聞かせてきたように、ことにあたる意気込みも肝要だが、ただあたるというのではなく、この「為す」という言葉にはもうひとつたいせつな意味がある。意志をもって、努力をするという意味である。
「やろうと強い思いをもってやれば、できないことなんてないのよ」
そう親心をこめて発破をかける、祖母の声に強められながら、あらためて志を持って努力することを、今年一年の計としたいと思う。