July 25, 2007

Kamiからのメール

5月からわたしの英語の個人教師になってくれた、イギリス人女性のKami。
今日、彼女から携帯電話に届いたメールはこんな文章だった。

Have great hopes and dare to go all out for them.
Have great dreams and dare to live them.
Have tremendous expectations and believe in them.

大きな望みを持ち、思いきってそのために全力を尽くしなさい。
大きな夢を持ち、大胆にその夢を生きなさい。
とてつもなく大きな期待を抱き、そしてそれらを心から信じなさい。

・・・・・時々、本当に彼女は神さまなのではないかしら?と思う。

July 13, 2007

Imagine

 たとえばわたしたち全員が、なにかしらの植物を育て、毎日一時間の庭しごとを日課にしたら、地球の温度は上昇を止めることができるのではないかしら・・・・・そんなことを、飽くこともなく想像する。
 毎日一時間の庭仕事の間、エアコンやパソコン、電気、テレビは消され、土に帰らないゴミが生まれることもなく、水やりは打ち水のように地上にまかれて、二酸化炭素を新しい酸素にかえてくれる緑が栄え、ふえて行く。体をめぐって汚れた古い血液を浄化し、きれいな新しい血を送りだす心臓のように、植物は、地球に育まれる動物たちの使い古した空気を取り込み、清らかな新しい空気にかえて送り出してくれる、あたかも地球の心の臓だ。
 わたしたちが一日一時間、そんな緑の力にかまけることが、いったい大事な何を犠牲にすると言えるだろう。全員で、たった一時間を庭しごとに使ったなら、まもなく想像を絶するほどのパラダイスが、眼前に現れるのは確かなはずだと言うのに。

 たとえば、戦場には、空から笑い薬をまいたらいいのに・・・・・こんなメルヘンを、まじめな気持ちで思想する。
 怒りや、恨みは、武器を持つ手に力をこめさせ、むやみに暴力を高まらせるけれど、どんな人も笑いころげてしまったら、手にもおなかにも力が入らず、武器をちゃんと持つことすらできないにちがいない。武力を制圧するため、より優れた武力を開発する必要があると言うのなら、戦う力をふぬけにしてしまう、強力な催笑弾の開発に挑戦してみたっていいだろう。
 歴史は、それぞれの人間の、何十年かの生を数珠繋ぎにしてつむがれて、いつも、どこでも、誰もが、武器はいらない、戦争は絶対にするなと、同じことばを繰り返してばかりいるのに、どうしてわたしたちの世界は、ことばのわからない赤ん坊のように、いつまでも武器と戦争を手放すことができないのだろう。

 たとえば、わたしたちが会う人、会う人を、あたたかい気持ちで迎えたら、きっと日向ぼっこをする者の心のように、世界はきもちの良い場所となるでしょうに・・・・・どんなに笑われたって捨てられない確信みたいに、そうやって生きてゆくことを続けたいと思う。
 あたたかい気持ちというたった一つのルールを守れたら、驚くほどたくさんのやさしい心が、芽吹くようにそこかしこへ現れるにちがいない。それは誰もが想像のつく確かなことなのに、どうして行うのはそんなに難しいことなのだろう。尊厳をもって扱われることによって、どんな存在も善く生かされる。尊厳を与えるとは、あたたかい気持ちで人を迎えるということ。もっとも単純でかんたんな方法の中に、世界を変えるほどの大きな力が、きっと隠されているはずなのに。