August 9, 2011

道の奥

 6年ぶりに東北を訪れた。
震災後、メールや電話で話をして、安心していたことではあるけれど、ふるさとのように慕った土地でもある鳴子や、そこで現代湯治の若手リーダーとして活躍しながら老舗旅館を営む、大沼伸治さんやご家族の元気な様子を自分の目で確かめて、まずはただ心から喜んだ。

 ちょうど、宮城の稲わらから高濃度の放射性物質が検出されたというニュースがさかんに流れて、これまであまり神経をとがらせることなく、むしろ東北のものを選ぶように日常の買い物をしていた母までも、わたしの宮城行きにすこし陰ったことを言うようにもなっていた。わたし自身は、こうして東北の地に縁があるけれど、そういう思い入れがあるわけではない母も、またほかの人も、震災から時間が経ち、だんだん自分の生活に手いっぱいとなってくると、放射能への恐怖が、防衛本能をかきたて、それが東北との壁になりはじめているように見えた。

 しかしそれは、友人を応援に行く、いっしょに生きるのだと、意気込んで出かけたわたしの心にさえも、じつはしっかりと忍んでいた恐怖で、実際、わたしは部屋に用意してくれていた水を飲むとき、コップを口まで運んだところで、急に躊躇を感じ、飲んでも大丈夫だろうか・・・・と思って、そんな自分に驚いてしまった。まさかそのような気持ちが潜んでいたとは、自分の心ながら、まったく気がつかなかったのである。
 なんてこと・・・・わたしは喉元にうすく残る抵抗のようなものを押し流す風に、大きく水を飲みこんだ。冷えた、おいしい水だった。そして、ひさしぶりに温泉の恵みに与って、新陳代謝が促進された体は、まるで細胞中の水分すべてを入れ替えようとするように、始終トイレへ行きたがり、またそのたびに水を欲して、わたしは一晩で、ジャーの中の1リットルほどの水を全部飲み干した。
 
 被害が少なく、被災地からは近いこの温泉郷には、女川や南三陸町などの被災者の方々が、旅館などを二次避難所として滞在していた。また、東京その他の地域からは、復興のためのボランティアや視察を希望する人々が集まり、町は交差点のような一種の活気を呈していた。そんな中、わたしの訪問の目的は、いささか個人的すぎるように感じたが、友人家族との再会をよろこび、リラックスした会話を楽しみ、地震と表裏一体のような地殻活動の恵みである温泉にいやされながら、それとは別に、こうして誰かのためになにかをしたい、と与えるばかりの人の心が集まった場所に自然と満ちる、さわやかさなエネルギーをたしかに感じて安らいだ。人は本来、こんな気持ちのする場所で生きていけるはずなのだろう。

 鳴子で避難生活を送る方たちのための読書会に参加させてもらい、わたしはその気持ちをさらに強くした。テレビ出演も多く、人気者のロバート・キャンベル教授がその読書会のホストだったが、前日の夜に現地入りし、朝から三部、読書会や講演を行った後、夕方遅くに東京へ帰ってゆくまで、すべて手ずからで、熱心に、そして誰のこともたいせつにする姿は尊く、周囲の人を自然に幸せにする力があった。

この読書会の中で、教授が子どもにこんな質問をしたところがあった。
「今、勇気って言葉がでてきたけれど、勇気ってどういうものだと思う?なんでもいいんだけど・・・誰かが何かをするのを見て、あ、勇気あるなあ、って思ったりしたことない?」
そうして、名前を呼ばれた男の子が、ちょっと考えたあと、意外なことを答えた。
「ここ(避難所となっている旅館)で、時々、お客さんに道を聞かれることがあるんですけど、お風呂はどこですか・・・とか。そういう時に、それはこっちですよ・・・・って、口で言うだけじゃなくて、そこまで連れて行って教えてあげる人を見た時、勇気があるなあって思いました」

 少年にとって、それはとても最近のできごとだったのかもしれない。わたしは目の前がぱっと晴れたような気持がした。その通りだ。やさしさを行うには、すこし勇気がいるのである。はずかしさだとか、面倒臭さとか、怖さ、あるいはまわりの声だとか、そんなものを払ってくれる勇んだ心が必要なのである。おとなになると、道案内をするかしないかが勇気に関わるなんて、思いもよらない。勇気というのはもっと大きい事がらに使うものだと思っている。しかし、あの恐ろしい津波に遭い、家や大事なものを流されてしまうという途方もない経験をした少年が、敬意をこめて、言うのである。困っている人に差し出す手こそ、勇気であると。

 一方、行きと帰りの新幹線の中で、わたしは宮城と同時にもうひとつ、かつて親しんだ土地である福島を通過しながら、胸に痛みをおぼえた。いつかきっと錦を飾るからね・・・・そんな若気をふるって、ふるさとのように慕い、励まされてきた日を昨日のように思い出すが、ずっと以前に縁が切れて、もう十年以上も訪れていない。志を果たして、いつの日にか帰らん・・・・なつかしい人々の顔が浮かぶ。今は勇気をもってしても祈ることしかできない。たしかに、そうやって、遠くから見守るしかない大切なものもある。

 ただ祈るように誰かを、なにかを思う時、わたしもたぶん、誰かにそうして祈られてきたにちがいないと感じるのだ。だから、ここまでいろんなことも乗り越えて、生きてくることができた。見える、見えないに関わらず、縁ある人たちがかけてくれたやさしい心が、わたしをずっと助け続けてくれたのだと信じているし、そうでなければ、これまで受けることができた恵みの数々は、わたし自身の能力や徳にはとても見合わなかった。わたしのために祈ってくれた人があったからこそ、時に思いがけないような救いに与ることもできたにちがいなく、だからわたしも、人のために祈りたいと思う。犠牲にあわれたすべての人のために、復興に尽力する人たちのために、祈りたいと思うのである。

 かつてわたしは東北で、志をもって生きることを、大自然の声を聴くことを、教わった。それは今もわたしの躰の骨となっているような大事な教えである。そして、今はこの震災という大きな災害をもって、東北はわたしたちに、あらたにいろんなことを教えてくれている。「みちのく」とは、道の奥を意味すると言う。人としての生き方の奥義に触れる道は、今わたしたちのために、大きく開かれているのではないだろうか。