September 17, 2012

ルルドの泉

 ルルドの泉を教えてくれたのは、芹沢光治良だった。
ルルドの泉はカトリックの聖地で、1858年フランス南西部のピレネー山脈の麓の小さな村ルルドに住む少女ベルナデッタに聖母が18回にわたって出現し、ある日「泉の水を飲み、洗いなさい」と言われ、指示をされた場所を掘ると、水が湧きだし泉となったというものである。病を負った者がその水で身を洗ってみると、たちまち病が治ったことから、同じように治したいと願う人々が訪れるようになり、また奇跡と言われる治癒の例が続いて、今も年間500万人以上の人が訪れる巡礼地となっている。
 そのような奇跡的な治癒については、ノーベル生理医学賞のアレキシス・カレル博士をはじめ、多くの科学者や医者が目の当たりにし、広く認められるものとなったが、芹沢光治良は自身がフランス留学中、肺炎にかかって重症のところ、このルルドの泉の水を飲まされて危機を脱した経験があった。無信仰の実証主義者を自称する氏は、フランスのような文明国に、神さまの水を飲んで病を治すというような習慣があり、病院でも平然と行われていることに驚くのだが、その後実際にルルドを訪れ、巡礼団に加わる機会を得ながら、奇跡や信仰の実在を体験して行く。
 当初わたしは、芹沢光治良が言うのであれば事実なのだろうと、ルルドの泉に対してもそんな信じ方だったような気がする。氏はその後晩年になって、自ら神さまの水を人々へ分ける者となって行くが、そこでは天理の聖母と呼ぶべき中山みきの出現がある。おそらくそれも、芹沢光治良がペンにかけて言うのだからと、そのように信じた部分があったと思う。すくなくとも、わたし自身の目の前に、それら二つのものが現れるまでは。

 離婚をすることが決まって、とにかくなにか仕事をはじめなければいけないと心を奮い起こしていた頃、日経新聞の朝刊を開くと、折り込みチラシの一番上に、手作り風のアルバイト募集の広告が乗っかっていた。パソコンのドキュメント作成ソフトとコピー機で作ったような、白地の目立つそのチラシに、決して安いわけではない折込料金を払うのはいったいどんな広告主なのだろうと、昔広告会社にいた人間らしい驚きを感じて中を読んでみると、それは家の並びに建つ幼稚園のもので、朝の通園時の交通誘導という一時間ほどの仕事に2000円の高給がついているのを知って、さらに仰天した。
 その頃、うつの予後を過ごしていたわたしは、まだ三日出歩けば一日寝込むような疲れ方で、仕事を捜すと言っても、はじめからフルタイムの勤務などは無理に思えたが、こんなふうに一日に一時間と決まっている仕事だったら、心身共に負担がないばかりか、他の仕事を掛け持つこともできるように思える。ちょうど、うつの治療と趣味をかねて習っていたフラワーセラピストの勉強が進んで、教室を開いたらと先生に勧められていた頃でもあり、それがどれほど生計に役立つものになるか皆目わからなかったが、時代的に旬を得ている仕事にも思えたし、せっかくの人生の方向転換なのだから、あとはできるだけたくさん書く時間を作ろう、ものを書くことにじっくり向き合おう、たとえ食べられなくなっても、これだけは一回とことんやっておかなければ、後で後悔するにちがいないから・・・・と、そんな希望的な思いを、一枚のチラシに誘われるまま頭の中で広げた。   
 興味本位に幼稚園のホームページを開いてみると、「神さまはいつも見ている」という言葉がとびこんできた。キリスト教の幼稚園ならではだったが、その言葉はそのままわたしの口癖であり、また特に自らに言い聞かせながら日々の不安をはらっていた時期でもあって、わたしは、ちゃんと見ているよと神から言われたように大きな慰みを感じた。しかしもちろんそれは心で十分な励ましを受け取っただけであり、現実的に働き始めようなどと考えられる話ではなかった。第一に、わたしはいずれ家を出なければいけない人間であり、この家の持ち主となる夫や、将来彼が迎えるかもしれない家族のために、アルバイトとは言え、並びの幼稚園で働きだすほど無神経な人間でもなかった。ただそんなふうに夢のような想像を一人楽しんだ後、チラシは回収へ出す古紙の塊の中へ捨てたのだが、それをいつ、どんな風に見つけたのか、
「ねえ、近いし、お給料がいいし、なによりすごく子ども好きなのだし、ぴったりの仕事じゃない?やってみたら?」
とわたしに差し出し、熱心に勧めたのは、この別れた夫だった。

 家を出るまでの二年間のアルバイト。その間になるべく早く、一人で暮らしていけるだけの健康と経済力をしっかり身につけよう。それが別れるわたしたちにとって、おたがい一番後味の良い門出となるはずだ。そう思って、幼稚園の面接を受け、採用になった。
 仕事は、交通安全の旗を持ち、路上や駐車場に立って、通園の車や歩行者を誘導する仕事である。道に立って大声を出し、手や旗を振る気恥ずかしさは、最初の一日であっさり消えたが、離婚という緊急事態がなかったら、とても挑戦する勇気を持てなかっただろう。スタッフはわたし以外は子どもたちを通わせていた卒園生の母親ばかりで、一人異端に、好奇の目にさらされることにもなったが、それもまた開き直った心境なしに、入っていくことはできなかった世界だったと思う。毎朝、体を動かし、大きな声を出して働くのは、想像以上に気持ちよかった。
「おはようございます!」
毎日百人以上へ、繰り返し、繰り返しあいさつをするうちに、わたしの心も夜が明けていくように思えた。
 カトリックであるこの幼稚園の庭には、岩を削った中へ収められたマリア像があり、そばから水が湧き出るように拵えられていた。ルルドのマリア像のレプリカだった。ああ、これが、芹沢光治良の話していたルルドなのだ・・・・わたしは深い感動に浸った。それは、一歩一歩、この道で正しいのだと確かめて歩く道しるべのようでもあった。そしてその後、事務職員にならないかと声をかけられて以来、召命と思ってお受けし、仕事を続けさせていただいている今日にいたるまで、そこは朝は一日の守護を祈り、夕はぶじに一日を終えた感謝を捧げる場所となった。

 さて、芹沢光治良によってわたしはルルドの泉を信じたと書いたが、知識者の言うことを信じて、預言者の言うことを信じない、そういう心理が少なからずとも人にはあると思う。逆に預言者の言うことを信じて、知識者の言うことを信じないというのも危険が大きく、まことは、この二者の言うことが合致することだと思うが、それを確かめる以前に、二者のどちらかの言うことにしか耳を傾けたがらないというのも人の心の向きと言えるだろう。人は、損をしないように疑うものだし、なるべく早く答えを知りたがるし、その上一刻も早く結果を得たがるもので、その間の面倒や苦労はできるだけ省きたいと思う。しかし、それでは真実は決して得られないだろう。
 ベルナデッタが言うことを、初め教会は信じなかった。しかし一方で、教会が聖母マリアの出現であることを認め、ルルドへ多くの人々が訪れるようになり、泉の水によって不治の病が治るなどの数々の奇跡が続いても、当のベルナデッタは無関心で、持病のぜんそくの治療のために、ルルドの泉ではなく遠くの湯治場まで通っていたという。
「わたしは見たこと聞いたことを信じさせることではなく、それを伝える使命をゆだねられています」
という自身の言葉のとおり、ベルナデッタは自らの力を過信することなく、聖母の働きを助けるのはそのための力とでも言うべき教会へゆだね、そしてルルドの泉は年間500万人もの人々が訪れる大巡礼地となって行った。

 こうして書いている間に、幼稚園へ旅行会社の担当が訪ねてきて、
「じつはこの間、ルルドへ行ってきたんですよ」
と話しだした。ある学校の旅行の添乗だったらしい。なにかいつもより嬉しそうな、幸せそうな顔をしていて、ぜひ感想を聞かせてほしいと尋ねると、
「一言で言うと、ルルドは本当に安全なところでした」
と答えた。
 ホテルの部屋にはそれぞれ鍵がつけられているのだが、肝腎の鍵はフロント脇のむきだしのキーボックスがあって、それぞれそこへ入れて外出し、帰ってくると勝手にそこから出して部屋へ入るという具合で、誰でも抜き取ることができる。旅行会社の添乗員としては、非常に困惑したことだろう。しかしルルドではそれが普通で、トラブルが起こるようなこともないらしく、もちろん自分たちも無事であった。また夜間も、外はキャンドルサービスに参加する人々でいっぱいで、夜遅くまで一人で出歩いてもまったく危険がなく、本当に安全な場所だと感心した。職業柄とも言える感想だったが、彼が、疑ってかかるという馴れた視点から、それが必要のない、むしろそういう見方はやましいとさえ反省させられる世界に置かれた戸惑いと感動が伝わってくると同時に、本物に出会ったのだなあとつくづく喜ばれた。思えば彼の「安全」という一言は、言い得て妙なりだった。全く安らかなところ。それこそ聖母の慈しみに包まれた場所にちがいなかった。

 そして同じような安全な場所を、わたしはひとつだけ思いつくことができた。それは芹沢光治良の前に出現した天理教の祖、死してなお人々のために働くと約束した、存命の親様と呼び慕われる中山みきが現れる場所で、その話をじかに聴くことができる天命庵である。そういえば、最寄りのバス停の名前は「泉入口」だったが、8の日になればこんこんと自然に湧き出る水のように惜しみなく教えが語られ、人々は好きにやってきてはその教えを汲み、好きなように帰って行く。老若男女が開け放った庭や座敷に平たく座って話に耳を傾けながら、無邪気に大声で笑い、安らいで、わたしはこの場所がかもしだすものを、「まったくの健康さ」としか表現できないでいたが、それは「安全」というほうがよりぴったりのような気もする。ルルドと同じように、その安全とはまず人々によって常識と自由が守られているゆえだろうが、こうして人の理性や良心を強めるものでなければ、本物の信仰とは言えないだろう。
 この場所で、ある日わたしは親様に話しかけられた。
「わしはずっとこうして母と言う役目をして、古き昔は、それこそ聖母様、聖母様と呼ばれていた魂です。母の魂なんですよ。あんさんは聖母様にご縁があって、いつのまにか天命庵に寄せていただきましたね。同じものです。まさに同じものです。・・・・それをこのたびはよく悟ることができてよかったですね」
200人以上の人の中で話されたことで、人々は突然なんのことだと思っていただろうが、それはマリア様と親様の両方がいっぺんに現れて、なにか板挟みになるように悩んでいたわたしが、二人はひとつ魂だと気づいて心を晴らした、誰にも話していない心の変遷を指して言われた言葉だった。芹沢光治良が、親様は個人的なことを見ていたように話し、理を解き明かすと書いていた、そのとおりのことが自分の上に起きていた。わたしは神の微笑の中にいた。

 母の膝元が子どもにとってもっとも安全な場所であるように、聖母の働く場所にわたしたちはこの世にあきらめていたような安らぎを見出す。しかし、忘れてはいけない。安全な場所とは決して特別な場所ではなく、わたしたち自身が作れるものだ。少なくとも、誰も人のものを奪わない、傷つけない、縛らない、騙さない・・・・そういう場所を作ることは不可能ではないはずだ。それには、奪いあい、傷つけあい、縛りあい、騙しあう、そんな世界で勝ち残ることを学ぶより、あるいは恨みながらがまんして生きるより、それらがない世界をつくる方法を学ばなければいけない。そのために、宗教は学んで早道になることはあっても、けっして時間の無駄になることはないだろう。
 それぞれが家庭を、職場を、あるいは学校を、安全な場所にすること、聖母はそれは可能だと励まし、その努力をわたしたちに願い、そして神は多くのルルドの泉が生まれることを求めているのではないか、そんなふうにわたしは思う。