April 11, 2007

伊勢のしるし

 いつもお茶を買うお店がある。べつだん、何にこだわって選んだというわけでもなく、さいしょのきっかけも忘れてしまったけれど、デパートのお茶売り場の中でも、なぜかそのお店ばかりで、ほうじ茶も緑茶も買うような習慣が5年以上続いている。お店の人と親しいわけでもないし、ただなんとなく、そこのお茶と相性がよかったのだろう。
 ある日、お茶が切れたので買いにでかけると、店頭に「伊勢式年遷宮記念」の品が並んでいた。ちょうどしばらく前から神宮に惹かれて、一度訪れてみたいものだと思っていたところだったから、なにか「しるし」でも見つけたような気持ちになって、喜んで陳列やパンフレットを眺めてみると、その時初めて知ったことに、じつはこのお茶屋さんは、国内で唯一神宮司庁御用達として、伊勢神宮に献上しているお茶屋さんだったのだ。お見それした。と同時に、なんとも、知らないうちに伊勢と見えない絆で結ばれていたような、不思議な気持ちがした。
 そうこうするうちに、妙なもので、こんどは伊勢の宮司さまと親しいのだという女性に出会って、また伊勢の話を聞くことになった。宮司さまと親しいという人にめぐり合うこと自体、はじめての出来事だったし、それもこんな時期に重なって起こるとは、まるで磁石に引き寄せられて「伊勢」がやってきたかのようだった。


 やっぱり伊勢へ行ってみましょうか・・・。そう思ったら、身を隠していたお伊勢さまの化身が、わっと、あちこちの物影から出てくるように、次から次へとわたしの前へ現われはじめた。
 たとえば、たまたま用事のある場所のそばにあるという理由で、毎月必ずお参りをしている
神社があった。毎月、毎月怠らずにお参りして、鏡に手を合わせ続けて、どうしてこれまでピンとこなかったのか、相当わたしはぼんやりしているに違いないのだけれど、社務所に貼ってあるポスターにようやく目が行って、はたと気がついた。「お伊勢さまにお参りしましょう」・・・・ああ、ここもお伊勢さまだった・・・天照大神さまだったのだ。きっと何年も前にはじめて訪れたときはしっかり覚えていたのだろうけれど、いつのまにか忘れて、ただ神さまにお参りしているとしか考えなくなっていた。参拝というよりは生活の習慣というほうがふさわしかったけれど、毎月欠かさず足を運び、お参りし続けている唯一の神社が、じつはお伊勢さまだったとは灯台下暗しもいいところであった。

 すっかり忘れていたと言えば、本棚を整理していてふと出てきたリーフレットもまた、都内のお伊勢さまのもので、ああ、こんなところからわたしは縁が結ばれていたのだと改めて驚いた。それは、わたしがこどもの時代に、お宮参りや七五三の折に必ず連れて行かれて、家族が成長を祈願した神社であった。そうなのだ。わたしは誕生のときに、まずお伊勢さまに縁を結ばれたのだ。両親や祖父母たちが、この新しい命が健やかに天命をまっとうするようにと、折々に、重ね重ね、お伊勢さまに祈ったのだ。
 祈りは、かならず天に通じるものである。父も母も、祖父も祖母も、たぶんまったく気づかないことで、無意識のことだったにちがいないけれど、きっと彼らの純粋な祈りにこたえ、お伊勢さまこと天照大神さまはその願いを聞き入れて、陰日なたにと、いつもわたしのそばに在り、守り続けてくださっていたのだろう。


 自分のために祈ってくれる人がいるとは、本当にありがたいことである。その祈りが、順々とめぐって、見えない神のたすけになり、わたしのもとに届けられている。伊勢へお参りする前に、まずは家族に感謝をささげよう。そうして、また風が吹いたらそれに乗って、道が開いたならそこを通って、伊勢まで出かけてみよう。