March 9, 2008

甘夏マーマレード

甘夏のマーマレードを作る。これはわたしの3月の風物詩といえるようなものだ。ことしで何年つづいたのだろうか・・・中には楽しみに待ってくれている人もいるから励みにもなるし、なによりわたし自身がこの春の行事を楽しみにしている。
 さて皮をいただけるということは、じつに貴重なこと。必要最低限の農薬で、そのために農家の人々が手間や、気もちをたくさんかけて育てた甘夏。大切に育てられたことを知っているから、料理する側も、だいだい色の素朴な顔つきで並ぶ果実たちに、よく来てくれましたと喜びを伝えると同時に、大切に使わせていただきますと気が入る。
 マーマレードは、この甘夏を余すことなく生かすことができるレシピだ。一時間ほどかけて皮を刻み、実をしぼってジュースを作る。皮の内側についている白いわたには苦味があって、何度かもみ洗いをして少し落とすが、落としすぎても味がしまらないし、わたにはペクチンが含まれているので、ジャムにとろみをつけるためにも必要なパートである。種も捨てない。小鍋に入れて、少量の水で煮ると、種の中から透明のトロトロした液体が出てくるが、これもペクチンで、漉してペクチン液を作り、最後に凝固剤としてマーマレードに加えてとろみをつける。甘夏以外に入るものは、お砂糖だけ。分量的に、皮に使う個数に対し、倍の個数分のジュースが必要となるため、実も種もなくなった、皮だけが残ってしまうことになるのだが、これは夜のお風呂に浮かべて甘夏の湯を楽しむことにする。
 オレンジの香りは、緊張やストレスで堅くなった心をほぐし、明るく前向きな気分に導いてくれ、消化器系の不調も緩和するそうだが、なるほどマーマレードが完成する頃には、わたしは普段より笑う声も、話す声も増えて、ひとつ、ふたつ余計に仕事もこなすくらい活力も増している。毎年マーマレード作りが楽しみに思えるのも、心がこの快感をおぼえているからなのかもしれない。今日も、フランスの有名ブランドの社内セールに誘われていたのだけれど、天秤にかけたら、マーマレード作りが勝ってしまった。我ながら、「おかしいわ、めったに行けない○○○○のセールよ!」と怪訝になって自らに問いかけてみたが、ずっと忙しくて疲れていたせいもあるのだろう。マーマレード作りがまとう、お日さまのような明るさとさわやかさは、セールがまとっているものとは比較にならないほど魅力的に思えた。
 ところで、はからずも天秤にかけることになった数百円の甘夏と、数万、数十万円のブランド品・・・それらはあまりに強いコントラストだが、丁寧に手間をかけ、良質の材料と技術を使って作られたものであることにおいては等しい物同士とも言える。どちらでも、わたしは真摯な物づくりがとても好きだ。特にこの甘夏は、ある生協団体が水俣の生産者と共同で作り上げてきた商品で、農薬の制限など厳しい希望をかなえてもらう代わりに、できた作物は必ず買い取るし、買い叩くことも決してしない。他と競合させるようなこともしないし、食い扶持のことは安心して、良い甘夏を作ることだけを考えてもらうようにする。なにごとも競争がないと質が堕落するように考えがちな世の中にあって、こんな流通のしくみが実現することにわたしは心から感動してしまう。共に成長しようという気持ちをゆるめないで、何十年と続けられる「関係」そのものに、憧憬すら感じる。
 自然、買って食べるだけの身の上としても、ただ剥いていただくのではなく、なにか特別なかかわり方をしたくなる。人同士の信頼と努力の上に、自然の恩恵が注がれて結んだ果実を、まるごと、あますところなく生かしていただきたい・・・マーマレードを作ることによって、わたし自身もその「関係」に取り込んでもらえたような喜びに浸る。

 保存瓶を熱湯で消毒し、琥珀色に輝く甘夏マーマレードを詰めてゆく。自分で作りながら、謙遜もせず、「おいしいですよ」と言って人にさしあげられる、唯一の料理でもある。ことしも、おいしくできあがった。願わくば、これを食べる人たちにとっても、明るくさわやかな元気を注ぐ甘露となってくれますように。