March 17, 2008

精霊の舞

 ダンスを観て泣いたのは、生まれてはじめてのことだった。
この世に、こんなにも美しいものが存在していたなんて・・・ヤン・リーピンが踊りだした途端、目の前のあまりに衝撃的で、驚異的なできごとに、わたしは、あとからあとから溢れ出る涙を止めることができず、こらえようとするたび、余計にむせるようにして泣いた。それは、たとえるならば、まるで神秘体験をしたかのようであった。
 
 あとになってその理由がなんとなくわかった。ヤン・リーピンは、幼いころより母親から「踊るのは神様と話をするためなのよ」と言われて育ち、彼女自身、踊りながら長く腕を伸ばした時、その腕を神が取り体から魂が離れてゆくような不思議な感覚を味わうと共に、深い安らぎを感じると言う。わたしが目の前に繰り広げられているものを、幻とも、奇跡とも感じて驚いたのも、またいつまでもこうして見ていたいと、永遠に終わらないでほしいと願われたのも、そこに見えない神の顕現を感じていたからかもわからない。言葉にするには、この世のものとは思われない美しさとしか言いようがないが、わたしは自分自身の心と体が強く感応するその感覚に、ただ素晴らしい芸術を見た感動とは完全に異質のものを覚えずにはいられなかったのであった。

 今回日本で公演されたのは、ヤン・リーピンが、故郷雲南を歩き回って少数民族に伝わる歌舞をリサーチし、統合して芸術的な昇華を与え、歌舞劇として完成させた「雲南映象(シャングリラ)」。踊りの精霊ヤン・リーピン自身が舞台に立つのは、今日では中国でも滅多に観ることができないそうで、その絶品のダンスを目にできるのは大変幸運なことだということもあとから知らされたが、さらにありがたいことに、わたしのあまりよくない視力でも、はっきりと彼女の表情や指の先まで見えるような席に座る幸運を与えられて、わたしは精霊そのものをじかに見るような驚きと感動に打たれた。いくら驚異だ、感動だと繰り返しても、その素晴らしさを伝えることはできないのはわかっているが、「ああ、今日まで生きていて本当によかった」と、そう思えるものに出会えることはそうそうあるものでもないだろう。

 彼女の代名詞でもある「孔雀の舞」。孔雀はタイ族に「太陽鳥」と呼ばれ、昔から「愛の象徴」として親しまれてきたそうだ。つまりヤン・リーピンは愛の精霊となって踊るとも言えるのだろうか。他のダンサーたちの群舞や打歌などを思い返してみても、多くの踊りが男女の愛を表現するものであったことに気づかされるが、人間にとってもっとも原始的であり、かつ崇高な愛の存在を讃えるということは、おそらく大自然の陰と陽が調和し、天と大地が交わることへの彼らの深い信仰と同一のものなのだろう。彼らのその強い信仰ゆえに、舞台では歌と踊りの高まりのうちにある融点へ達し、なにかその場に大きな変容が起きたのを見る気がする。
 
 そして改めて思う。民族文化は、ひとつの国や地域ではなく、地球におけるかえかげのない財産だと。わたしはまだまだ未熟な人生経験の中で、何度、この声を聞き、情熱の湧きあがる思いをしたことだろう。それでも、日々のことに追われ、わたしにとっては生まれた時からそばにあるような資本主義の思潮に、抗いながらもまみれているうち、忘れるつもりはないのに薄れてしまうはかない思いでもある。
 
 奇しくも、この「雲南映象(シャングリラ)」には、チベット民族の伝統文化も、雲南で括られる中のひとつの、それも最も主要な構成として組み込まれている。チベットの暴動と、この公演とがほとんど時を同じくして始まったのを、わたしは偶然ではないことのようにに感じてしまったが、遡ればもうひとつの私的な事がら、以前チベットの伝統歌舞を保存するために作られた、チベット伝統芸能学校で歌と舞踊を学ぶ学生の一人の里親になったことも思い出され、これらのことがまるで接点を探すように、重なり合っては離れ、交わるように見えてはすれ違い、わたしの頭の中を行き来する。
 そんな中で、わたしにとってヤン・リーピンに出会えたことはやはり幸運だったと思えた。この世界にこんなに美しいものがあったのだと、人はなんて美しいものを生み出すのだろうと、そんなかけがえのなきものを中国を代表するダンサーによって授けてもらったことによって、ややもすれば敵視に傾きかねない中国への思いに静謐な風が入り込んで、心に冷静さがもたらされたようだからである。

 このような情勢でなければ、もっと彼女の舞台は日本でも喝采と脚光を浴びただろう。そしておそらくは舞台上でヤン・リーピン自身が抱いていたであろう、政治的な争いに清らかなものが巻き込まれ、傷ついてゆくことへの深い痛みと切なさ、そして神へ平和を請い祈る強い思いが伝わってきたからこそ、わたしはあんな風に泣けてしかたなかったのではないだろうか。何度も言うが、あの強烈な感応は、ただごとではなかった。

 わたしが戦争のない世界を、自分の生を通じて求めるものと意志を立てた最初のきっかけは、ダライラマ14世とチベットの人々との出会いからだった。暴力からは何も生まれない。暴力を持たない選択こそ、本当の強さであるということを彼らから教わった。そして非暴力を貫くこのチベット人たちに、ラサを返してほしいというのは実は長年のわたしの願いでもある。がまんが限界に達した人に、さらにがまんを強いることは酷にちがいないが、暴力がこれまでの努力と尊さを台無しにしないように強く願う。またわたしにとって、チベットの人々のような笑顔ができる人間になりたいというのが、長年の目標でもある。彼らが、一瞬で人の心を解かすようなあの美しい笑顔を、あの素晴らしき宝を失うことがないように、切に、切に願う。