January 14, 2013

雪華

 年末、こどもたちも先生たちも冬休みに送り出して、それから経理を締めたり、建物の修繕をしたり、次の学期のために必要なものを調達したり、結局時間切れになって大掃除も中途で幼稚園の一年を締めくくると、今度は家事が山ほど待ち構えていて、それもやっぱり時間切れを口実に切り上げるけれど、元旦からは人を迎えたり訪ねたりしながら、女の仕事は切れ目なく続いて行く。そうこうするうち冬休みは明け、先生たちやこどもたちが幼稚園に戻って女正月もないから、どこかで一休息取らなければこのあときっと勤まるまいと、休みの最後を使い京都へ出かけた。忙しさや人に流されるように新しい年を始めるのではなく、まずは一度、自分の中心をおさめる、そんな時間がぜひほしかったのである。

 直前にとったホテルは駅の目の前で、一番近い寺社は東寺だった。そういえば京都へは何度も来ているが、いつもどちらかと言えば駅から遠ざかる方へ足を向けることが多く、おそらく高校の頃を最後に、東寺には久しく訪れたことがなかった。ちょうど正月の特別拝観が行われていると言う。この機を逃すのはもったいないことだった。
 チェックインを済ますと、荷物を置いてすぐに東寺へ向かった。家の菩提寺が天台宗ということもあり、また別の関係だが、延暦寺の音楽法要に参加したなど強い縁を持つ中で、不本意ながら真言宗とは対峙した側に置かれてしまったような、なにか世間の見方に感化された距離感を感じることがあったが、実際そういう環境のせいで、空海の教えに自然と触れたり、学ぶような機会はあまりなかった。祖母の郷里が和歌山なので、幼いころは家族で高野山へ遊びに出かけたと話は聞くが、本人には記憶も残っていなかったし、どちらかと言えば空海は親近感の薄い、天才と聴くばかりで近寄りがたいような存在だった。

 人には、自分から訪れなければならない場所というのがある。わざわざとか、ぜひとか、そうやって訪ねて、初めて開くような場所である。地図を片手に、京都は坂がなくまことに都とされるにふさわしい土地だとあらためて感心しながら、五重塔の姿を探して歩き、十五分ほどで到着すると、さっそく一般公開となっているその五重塔へ入ってわたしはとたんに「ああ」と嘆息した。この迎え入れられる気持ちはなんだろう。そこには密教からイメージされる難解なものでも、高邁なものでもなく、人を寄せるようなあたたかさがあった。そんな思いがけない感覚に浸るように、須弥壇の上の仏像をわたしは恍惚と見ていたのかもしれない。係の人が隣にやってきて、下を見るようにと足元を指差した。
「そこから心柱が見えますよ」
須弥壇の下が窓になっていて、この五重塔の中心を地から天まで一本に貫く「心柱」の姿を見ることができた。五重塔自体が立体の曼荼羅図であり、心柱は大日如来をあらわし、須弥壇上にはそれを囲んで金剛界四仏と八大菩薩が置かれている。

 次に金堂へ進むと、いよいよ離れがたさに近い幸福を感じた。月光菩薩と日光菩薩の間に、薬師如来がたたずむ。美しかった。
 そして講堂へ進み、空海の教えを表現する立体曼荼羅を前に、とうとうわたしは座り込んでしまった。中央の大日如来は、世界に遍く行きわたる光であり、命を慈しんで育む力を、また宇宙の中心であり根本である創造力を表わして、周りを囲む五如来、五菩薩、五明王、四天王、梵天、帝釈天と共に全二十一躰の仏像によって仏国土が表現されている。彫刻がもたらす瞬間的で強い感応は、言葉ではかなわない伝教となって生き生きと観る者にせまり、また仏国土を示す情熱は護国寺としての東寺の生命を肉眼で観るような思いを起こした。さらに、壁にあった説明書を読むと、わたしは何もかも合点が行った気がした。空海はただ密教的な祈りに生きた人でも、仏法を説くだけに生きた人でもなく、食べられない者が食べられる者となる方法を、病んだ者が病を治せる方法を教え、日本で初めて庶民のための学校を創った人であった。まさに本物の実践の人であり、この場所にあるあたたかさは、今も東寺に通うその血のあたたかさに違いなかった。
 これ以上今はなにも心の中に持ち込みたくないような思いで、東寺を後にしようとした時である。空から白いものが落ちてきた。雪だった。晴天から、はらはらと小さな白い花が降りてきた。それはまるで、諸仏の供養のために撒かれた散華のようであった。しばらく降っていたが、積もるはずもなく、幻が消えるように雪はやんだ。

 それから家に帰り、何日も経ってからわたしはふと自分の本棚を眺めて唖然とした。ほとんど飾り棚のようになって、何があるのかも意識しなくなってしまっている画集の棚に、東寺の国宝の写真集と両界曼荼羅の図画集が並んでいたのである。いつ、手に入れたものだろう・・・・。開いてみると、写真集は1995年に世田谷美術館で東寺の国宝展が開かれた際に出版されたものだった。完全に失念していたが、こんなに重い、立派な本を買い込んで、わたしは東寺へ行きたいとどれだけ強く願っていたことだろう。
 東寺に入った時の、あの迎え入れられたような、なにか言い知れぬ気もちの一つに説明がついた気がした。それは待っていた自分自身に出会ったような、待たされていた自分がやっと満たされたようなことだったのかもしれない。そして教科書は先に与えて、これらの宝を真に味わえるようになるまで、神仏はじっとわたしの成長を待っていたのだろうかと思うと、深く忝くなった。

 東寺を訪れたあくる日は、嵯峨野へ出かけた。着くと、再び小さな白い花が降り出した。不思議な雪である。晴れた、明るく白い日差しの中、六片の花びらを持った結晶がきらめきながら、法会に撒かれる散華のように新しい年を祝福し、穏やかに、穏やかに、何時間も舞っていた。