May 13, 2007

CHANGE

 なにかとても素晴らしいものに出会ったとき、その素晴らしいものを、ぜひ人にも分けたいと思うのは自然なことである。でも、どんなに言葉を尽くして伝えても、分け合うにはいたらないだろうし、一期一会であるその素晴らしいものを、再び用意できるとも限らない。

 たとえば、きれいな青空を見つけたとき、きらきらと木々から緑の光が降ってきたとき、そういうささやかな喜びでも、誰かに伝えたいほどかけがえのない素晴らしさを帯びていることがあるものだ。またなにか貴重なものに出会う幸運にめぐまれたり、魂が揺さぶられるほどの感動に出会った時、どれだけ惜しんでもそこにいるのは自分ひとりだけという、そんな時というものもあるものだ。そういう時は、その素晴らしきものによって変わった自分を見せればいい・・・そんな風に教わった。写真家の星野道夫さんが、友人から教わったという言葉である。
  そうだ、そのとおりだ、と思った。わたしたちは、それぞれに過不足ない一期一会を得ていて、じぶんのそれを特に素晴らしいと思うのはまちがいで、それでも家族や愛する人たちに、どうにかしてその素晴らしいものを分けたい、伝えたいと願われるのなら、それによって変わった自分を、よきものを得て、変わった自分を与えればいいのである。それだけで、出会ったものがどんなに素晴らしいものだったかを、人は十分に理解するし、その光は生きたまま彼らの前に届けられて、与えられても行くのである。

  これと少し似たものに、恋がある。恋は、否応もなく人を変える。恋をすれば誰もが活気付くようになるけれど、優しくなる人、ひと回り人間が大きくなる人もいれば、逆にだらしなくなる人、利己的になってゆく人もいる。そのようすを見てわたしたちは、ああ、この人はよい人と出会ったのだろうなあ、と思ったり、よくない出会いをしたのではないか、と心配したりするのだけれど、どんなに素晴らしい人と出会ったかを知るには、たくさんののろけ話を聞くまでもなく、こうして変化を知るので十分だ。そしてもし、恋する相手を大事にする方法があるとしたら、それは自分自身によき変化を起こしていくことだろう。

  変化というものはけっして受動的なものではなく、主体的に、みずから行うものだ。それは口に言うほど易しくはないし、目に見えるような大きな変化である必要もない。ただ、その変化の決心は、自分が出会った素晴らしいものに対する、心のこもった敬意となるはずで、それが真実か否かは、変化と言う行動によって実に結ばれ、身に現われてくるのではないかと、そんな風にわたしは思っている。